ヒューマンドラマ

映画 赦し レビュー 第3章:失われた時間の中で──赦しの見えない道【ネタバレ注意】】

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【ネタバレを含みます】
本記事では、映画『赦し』の登場人物や象徴的なシーンについて触れています。物語の印象を大切にされたい方は、鑑賞後にご覧いただくことをおすすめいたします。

出典:YouTube / A FILM BY ANSHUL CHAUHAN 公式チャンネル

第3章:失われた時間の中で──赦しの見えない道

「赦し」とは、本来、過去を受け入れ、前に進むための行為であるはずです。
しかし、この物語の中で交わされる赦しの言葉には、なぜか過去に縛られたままの感情が見え隠れします。
第三章では、赦しが前進の契機ではなく、むしろ未練をつなぎ止めるための手段として現れる瞬間に注目し、その複雑な意味合いを丁寧に紐解いていきます。

前の章を読む:
第2章:「ありがとう」の不在──共感が欠けた母・澄子の内面

はじめから読む:
第1章:序章──映画『赦し』の核心へと導く視点


『赦し』というタイトルが示すように、この作品は登場人物たちがそれぞれの過去と向き合い、“赦し”という行為に手を伸ばしていく物語です。
ただしここで描かれる赦しは、単なる和解や忘却ではありません。痛みと共に生きることを選ぶような、きわめて個人的で繊細な折り合いの営みです。
けれども、彼らが口にする赦しには、どこか空虚な響きが残るようにも思えました。
それはまるで、形式だけをなぞりながら、本質にはまだ手が届いていないような──そんな矛盾を孕んだ赦しでもあったのです。

表面的な赦しの応酬

克と澄子が再び向き合う場面、あるいは面会の場面において、“赦し”という言葉はたしかに交わされます。
しかしその言葉は、どこか手触りを欠いたまま、感情の実感を伴わずに浮遊しているようにも感じられました。
まるで「赦し」という行為そのものが、決まりごとのように先回りして存在しており、ふたりはただその形式に自らをなぞらせている──そんな印象さえ残ります。

本当に赦し合っていたのか。心から赦されたと言えるのか。
その問いは、物語の結末に至ってもなお明確な答えを与えられることはなく、観る者の胸に静かに、けれど確かに残されてゆきます。

欠けている「自己赦免」

この物語において、もっとも深く欠けているのは「自分自身を赦す」という視点ではないでしょうか。
克も澄子も、それぞれに謝罪や理解を口にする場面はありますが、自身の過去にどう向き合い、それをどう受け入れるかという内省には、最後まで至っていないように見受けられます。

克の言動にはどこか反省の温度が低く、澄子においてもまた、自らの冷淡な態度が何を生んだのか──その帰結を自覚しているようには描かれません。
ふたりの間で交わされる“赦し”は、あくまでも表層的なものにとどまり、痛みを分かち合う営みとしては、どこか成立していない印象を残します。

真の赦しとは、他者への寛容を通じて、自己の過ちにも折り合いをつけていく過程にあるのかもしれません。
けれどこの作品では、赦しの言葉が浮かびながらも、その芯にあるべき感情が、そっと抜け落ちているように感じられるのです。

赦しと未練が交差する地点

この物語において描かれる“赦し”は、しばしば「未練」と不可分なかたちで現れます。
赦すことで過去を手放すのではなく、赦しきれない思いに囚われることで、関係にしがみついている──そんなふうに感じられる場面が幾度もあります。

本来、赦しとは、終わりを受け入れ、歩みを進めるための契機であるはずです。
しかし本作では、それがどこか、関係を断ち切らないための手段として作用しているようにも映ります。
まるで「赦す」という行為が、離別の痛みを避けるための仮初めの橋渡しになっているかのようです。

だからこそ、観客に投げかけられる問いは、「赦すことができたか」ではなく、「赦しを通じて前に進めたか」なのかもしれません。
過去にすがりつくための赦しではなく、未来に向かうための赦し──
その違いが、物語の余白に静かに浮かび上がっているように思えるのです。


次の章を読む:
第4章:感謝なき背中──届かぬ優しさに宿る苛立ち

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このレビューを書いた人
高瀬 楓(たかせ かえで)
高瀬 楓(たかせ かえで)
映画と余韻のブロガー。  週末19時に更新中。
はじめまして。映画ブロガーの高瀬 楓(たかせ かえで)と申します。 「映画の余韻にじっくりと浸りながら、自分の視点で感じたことを丁寧に言葉にしたい」との思いから、映画レビューサイト《Silverscreen Pallet》を運営しています。 心に残るシーンやテーマを深く味わいながら、読者の皆さまの記憶に響くような記事をお届けできたら嬉しいです。

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