映画 赦し レビュー 第7章:“赦し”を巡る沈黙──涙と語られなかった言葉たち【ネタバレ注意】

【ネタバレを含みます】
本記事では、映画『赦し』の登場人物や象徴的なシーンについて触れています。物語の印象を大切にされたい方は、鑑賞後にご覧いただくことをおすすめいたします。
出典:YouTube / A FILM BY ANSHUL CHAUHAN 公式チャンネル
第7章:“赦し”を巡る沈黙──涙と語られなかった言葉たち
赦しとは、ときに語られないまま、静かに佇む感情です。
映画『赦し』における澄子の涙と沈黙──それらは異なる場面で描かれながらも、どちらも「赦せなかった心」の深層を静かに照らし出していました。感情の軋みが、声にならないままに浮かび上がる。その姿は、赦しという言葉が持つ複雑さを、あらためて私たちに問いかけてきます。
前の章を読む:
▶ 第6章:殺人と赦し──倫理と感情のはざまで
はじめから読む:
▶第1章:序章──映画『赦し』の核心へと導く視点
罪悪感と感情の葛藤としての涙
澄子の涙は、単なる悲しみの表出ではありませんでした。
それは、過去と現在、赦しと裏切り、愛情と後悔──そうした相反する感情がひとつの身体のなかでぶつかり合う、内なる衝突の痕跡だったように思えます。
娘・恵未を喪った澄子が、元夫・克と一時的に再接近したあの夜。彼女の表情には、安堵や懐かしさだけでなく、どこか取り返しのつかない罪の影がにじんでいました。
恵未がもういないこの世界で、ふたたび克のぬくもりに触れてしまったこと──それが、死者への裏切りに思えてならなかったのかもしれません。
その涙は、埋まらない空白に手を伸ばした結果としての戸惑いであり、愛する者を失った悲しみが、あらためて姿を変えて押し寄せた瞬間でもあったのでしょう。
赦すこと、赦されること、そして赦せないこと──そのすべてが混在した感情のうねりが、あの一滴に凝縮されていたように感じられました。
“語られなかった言葉”としての沈黙
物語の終盤、澄子は加害者・夏菜と向き合う決断をします。
そこで彼女が耳にしたのは、「生きることが本当に苦しかった」という告白でした。澄子はただ静かに、「もう何も言わなくて大丈夫」とだけ返し、その場を立ち去ります。
このやり取りには、明確な赦しの言葉も、非難の声も存在しません。
けれど、その沈黙の奥には、二重の意味が重なっているように見えました。
ひとつは、共鳴としての沈黙。
どれほど受け入れがたくとも、目の前で苦しみを語る夏菜に対して、澄子のなかに一瞬だけ芽生えた“人としての理解”──赦しの入り口が、ほんのわずかに開いた瞬間。
もうひとつは、拒絶としての沈黙。
あくまで“自分の苦しみ”を前提に語る夏菜の姿に、澄子は赦しの限界を見たのかもしれません。「もう、いい」という言葉には、語る気力さえ失われた絶望と、「これ以上向き合うことはできない」という決定的な拒絶が滲んでいたようにも感じられます。
この二重性こそが、赦しという行為が抱える本質なのかもしれません。
澄子は赦そうとした──けれど、赦しきれなかった。その揺らぎが、涙と沈黙という形になって、観客の前に差し出されたのです。
語られなかった言葉のなかにこそ、赦せなかった心の本音が宿ります。
澄子の沈黙が語っていたのは、赦しを求める物語ではなく、赦しきれなかった人間の静かな告白だったのかもしれません。
次章予告
「赦される資格は、金銭で測られるものなのか」──
克が支援に頼って生きる姿に向けられた視線は、時に正義の名を借りた冷笑となって彼を追い詰めます。
その視線の先にあるのは、“父であり続けようとすること”さえも許されない社会の無理解でした。
沈黙する法廷で語られたのは、「依存」という言葉では片づけられない痛みと、「赦し」の曖昧な輪郭。
次の章を読む:
▶ 第8章:沈黙の正義──支援を受けることへの偏見と父の存在意義
『赦し』は現在、Amazonプライム・ビデオで視聴可能です。
静かに心に響く余韻を、ぜひご自宅でもゆっくり味わってみてください。
また、繰り返し観たい方やコレクションとして手元に置きたい方には、Blu-rayやDVDの購入もおすすめです。
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