映画 赦し レビュー 第8章:沈黙の正義──支援を受けることへの偏見と父の存在意義【ネタバレ注意】

【ネタバレを含みます】
本記事では、映画『赦し』の登場人物や象徴的なシーンについて触れています。物語の印象を大切にされたい方は、鑑賞後にご覧いただくことをおすすめいたします。
出典:YouTube / A FILM BY ANSHUL CHAUHAN 公式チャンネル
第8章:沈黙の正義──支援を受けることへの偏見と父の存在意義
被害者遺族が制度による支援を受けるとき、そこにはしばしば無意識のまなざしがつきまといます。「お金を受け取った人」に向けられるのは、支援という名の安心ではなく、「赦しを語る資格があるのか?」という不穏な問い。その偏見は、まるで生活の選択ひとつが人の痛みの真偽を測る物差しであるかのようです。
映画『赦し』に描かれる父・克の姿は、この矛盾に満ちた構造そのものを静かに告発しているように感じられました。
前の章を読む:
▶ 第7章:“赦し”を巡る沈黙──涙と語られなかった言葉たち
はじめから読む:
▶第1章:序章──映画『赦し』の核心へと導く視点
被害者支援をめぐる誤解と偏見
克は、娘を喪った喪失と心身の崩壊の中で、筆を折り、制度の支えを頼りに生きるようになります。損害賠償金は加害者から、被害者給付金は国家から──それはいずれも、「再び歩み出すための支援」です。しかし本作が静かに描き出すように、その制度を利用する者には時として、世間の冷笑や蔑視が突き刺さります。
作家という職業は、感情を言語化し、人に届けることが本質です。創作の源泉である感受性が、あまりにも深い喪失によって破壊されてしまったとき、書けなくなることは決して「弱さ」ではありません。それにもかかわらず、「制度に頼って生きる人」への視線には、「甘え」「依存」といったレッテルが滲みます。支援制度に対する無理解と、それを受ける人々への偏見が、言葉にならない暴力として浮かび上がるのです。
弁護人の発言に潜む価値観の偏り
「まるで娘さんに値札がかかっていたようじゃないですか」──
この台詞が法廷で放たれた瞬間、空気は一変します。被害者遺族が加害者側から賠償金を受け取ったことへの揶揄。しかしこれは、単なる皮肉ではありません。「命を金銭に換算した」という発想そのものが、あまりにも残酷で、そして不正確なのです。
この言葉の問題は、「正義」を語る立場にある弁護人が、その倫理的境界を越えている点にあります。彼の発言は、まるで被害者側の苦悩や沈黙を「取引」と捉える視点で語られており、法の中立性を根底から揺るがします。さらに彼は、加害者の母の自死を引き合いに出し、遺族の金銭的選択と結びつけるような論を展開しますが、そこには恣意的で感情的な操作が感じられました。
こうした言葉が、現実社会においても「お金を受け取った遺族は被害者ではない」といった歪んだ認識を助長しかねないことを考えれば、法曹としての言葉の重みと、それが持つ波紋にもっと自覚的であるべきだと強く思わされます。
「生きるための支援」が「赦しの資格」を奪う矛盾
支援を受けていることと、「赦せていない」ことは、本来何の矛盾もありません。むしろ、克のように精神を壊しながらも、それでも父であろうとする選択は、赦されぬ現実を生き続けるという決意の証であるように映ります。
それにもかかわらず、「支援に頼る者は本気で悲しんでいない」といった視線が存在することが、この映画の中では繰り返し示唆されます。けれどそれは、克のあり方の問題ではなく、見る側の「理解したつもり」の暴力なのかもしれません。
法廷での挑発的な一言に対し、克が激しく反応する場面は、抑圧され続けた苦しみが噴き出す瞬間でした。あの怒りには、「父親として、もうこれ以上見下されまいとする意志」が刻まれています。そしてそれを受け止めようとする裁判官の静かな姿が、逆説的に、法が抱える限界と克の中にある“沈黙の叫び”を際立たせているようにも思えました。
支援を受けながら生きるという現実に、赦しの有無を問う視線が重なるとき、そこには「人はどう生きてよいのか」をめぐる問いが透けて見えてきます──それがどれほど傷ついた者を追い詰める視線なのか、映画は静かに問いかけているのです。
関連コラムと次章予告
この章に関連する考察ノートも併せてご覧ください。
弁護士の「まるで娘さんに値札がかかっていたようじゃないですか」という言葉。その裏に隠れるのは、法の“正義”と倫理の亀裂。冷徹な正義の仮面が隠すのは、失われた“人間らしさ”だったのかもしれません。
加害者の母の死の報せが裁判で告げられた瞬間、遺族の沈黙の中に「これ以上、痛みを連鎖させたくない」という思いが滲んでいたように感じました。“罪の波紋”はどこまで届き、どこで断ち切るべきか──映画はその境界線を静かに示していたようでした。
第9章では、拘置所の面会室に響いた“丁寧すぎる”言葉と、その裏に潜む温度差に目を向けます。
かたちだけが先行した対話の果てに、“赦し”は宿るのでしょうか──。
次の章を読む:
▶ 第9章:語られた言葉の空虚──形式と“赦し”のすれ違いへ
『赦し』は現在、Amazonプライム・ビデオで視聴可能です。
静かに心に響く余韻を、ぜひご自宅でもゆっくり味わってみてください。
また、繰り返し観たい方やコレクションとして手元に置きたい方には、Blu-rayやDVDの購入もおすすめです。
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