映画 赦し レビュー 第15章:離れて歩く澄子と克、ジグザグに進む未来【ネタバレ注意】

【ネタバレを含みます】
本記事では、映画『赦し』の登場人物や象徴的なシーンについて触れています。物語の印象を大切にされたい方は、鑑賞後にご覧いただくことをおすすめいたします。
出典:YouTube / A FILM BY ANSHUL CHAUHAN 公式チャンネル
第15章:離れて歩く澄子と克、ジグザグに進む未来
判決が下り、法廷を後にした二人は、どこかぎこちない足取りで歩き出します。 克の背中を追いながらも、決して並ぶことのない澄子──その姿には、過去の断ち難さと、未来へのためらいが静かににじんでいました。
前の章を読む:
▶ 第14章:形式を断ち切る一言──ささやかな正義の灯
はじめから読む:
▶ 第1章:序章──映画『赦し』の核心へと導く視点
裁判の“後”に始まる、もうひとつの時間
澄子と克がたどる帰路は、直線的な和解ではありませんでした。 それは、裁判という“区切り”を越えてもなお、解けきらない感情の残り香を背負った歩みです。 判決は一応の決着を与えたはずなのに、二人の間には言葉にならない沈黙が流れています。 澄子は克のすぐ後ろを、一定の距離を保ちながらついていきます。 この間合いは、単なる空間ではなく、心の距離をも映し出しているように思えます。 裁判は形式的に終わっても、心の奥ではまだ“答えの出ない問い”が彼らを縛っているのです。

中途半端な関係が映す、揺れる現在地
二人の関係性は、完全に修復されたわけでも、完全に終わったわけでもありません。 その“中途半端なつながり”が、まるで地面のわずかな凹凸に反応するような不安定な足取りとして現れています。 澄子の目線は克の背中に注がれているものの、その視線には安心感と同時に戸惑いも宿っています。 罪悪感や喪失感、そしてそれをどう償うかという問いに、まだ明確な答えは出ていません。 けれども、二人は歩みを止めることなく、何かに背を押されるように前を向いています。 それは、もはや後戻りはできないという諦念でもあり、新しい段階へ進まざるを得ないという予感でもありました。

素直にはなれないけれど、それでも人は歩く
その歩みは、どこか不自然で、まっすぐではありません。 ジグザグと進む様は、感情の揺らぎや未整理な過去を内包しているかのようです。 まるで「仮面」を脱ぎ捨てた直後の、素顔の自分にまだ慣れない人間のように。 澄子は言葉を飲み込み、克もまた視線を交わすことなく前だけを見ています。 言葉のない時間が、かえって彼らの迷いを際立たせているようでもありました。 しかし、その沈黙の奥には、互いが互いを強く意識している気配が漂っています。 言葉にならない想いが、足音となってリズムを刻み、彼らの未来をゆっくりと形作っているのです。
不器用さのなかに宿る、かすかな再生
けれども、だからこそ、その不器用さにはどこか温かみが宿っています。 まっすぐでなくても、人は進もうとする。 完全な赦しや、きれいに整えられた答えがなくても、生き直すことはできる──そんな小さな希望を、この足取りに見出したくなるのです。 澄子にとって克の背中は、過去の象徴でありながら、同時に未来への道しるべでもあります。 その距離は永遠に埋まらないかもしれない。けれども、一度は壊れた関係の残骸を抱えながらも、なお“歩こうとする”姿勢に、かすかな再生の芽が宿っているように見えるのです。
たとえ過去に背中を引かれても、人は少しずつ、別の道を歩みはじめる。澄子と克の足音は、その“再生の予感”を、そっと告げていました。

次章予告
次章では、本作の副題にもなっている「DECEMBER」という言葉に光をあてます。 それはただの季節名ではなく、登場人物たちの心の在りようと、物語の余白を静かに照らす象徴でした。 凍える季節のなかで、それでも進もうとする人間たちの歩み──その背後に灯る、かすかな再生の光について考えます。
次の章を読む:
▶ 第16章:“DECEMBER”が灯すもの
『赦し』は現在、Amazonプライム・ビデオで視聴可能です。
静かに心に響く余韻を、ぜひご自宅でもゆっくり味わってみてください。
また、繰り返し観たい方やコレクションとして手元に置きたい方には、Blu-rayやDVDの購入もおすすめです。