『インフィニティ・プール』レビュー 快楽と狂気が交差する異常な楽園

【ネタバレ注意】
本記事では映画『インフィニティ・プール』の登場人物や象徴的なシーンに言及しています。物語の印象を大切にされたい方は、鑑賞後のご一読をおすすめいたします。
出典:NEON公式YouTubeチャンネル映画『インフィニティ・プール』公式トレーラー
あらすじ
(以下、公式サイトより引用)
スランプ中の作家ジェームズ・フォスターは、裕福な妻とともに、美しい自然と厳重な警備で知られる架空のリゾート地「リ・トルカ」を訪れる。創作の刺激を得るための滞在だったが、そこで出会った謎めいた女性ガビの誘いを受け、観光客の立ち入りが禁じられた区域へと足を踏み入れてしまう。 思いがけない事件をきっかけに、ジェームズはこの国の歪んだ司法制度と向き合うことになる。罰を金で回避できるシステムの裏に潜むものとは? 次第に理性と現実の境界があいまいになり、彼の内面はじわじわと崩れていく——。
※引用元:映画『インフィニティ・プール』公式サイトおよび配給会社Transformer公式情報をもとに作成。
リゾートのまぶしさが、不安をかき立てることもある。

青い海と白い砂浜、澄んだ空に囲まれた南国のリゾート。誰もが一度は夢見るような風景のはずなのに、『インフィニティ・プール』を観ていると、その美しさがどこか空虚で、どこか怖いものにも思えてきます。
初めは、贅沢な時間を過ごすカップルの物語なのだろうと思っていました。けれど、やがて登場する奇妙な仮面、ミア・ゴス演じる女性の異様な雰囲気、そして誰もが当たり前のように受け入れていく狂気のルールたち。
私が感じたのは「不穏さ」ではなく「無感覚へのぞっとする違和感」でした。どれだけ異常なことが起きても、人々は涼しい顔でそれを楽しみ、笑い、味わい尽くそうとします。その冷淡さに、現実が少しずつ歪んでいくような不安を覚えました。
この作品は、目を背けたくなるような暴力や快楽の描写を通じて、どこか自分の中にもある「鈍さ」や「無関心」に触れてくるような気がします。明るく美しい映像の奥に潜む、人間の危うさを描いた一本でした。
静けさのなかに潜む異物感
この映画の冒頭に広がるのは、どこまでも穏やかで美しいリゾートの風景です。青く透き通った海、眩しいほど白い砂浜、優しい風と光。けれど、どこかがおかしいと感じてしまうのです。
それは風景の撮り方だったり、登場人物のちょっとした無言だったり。どんなに明るく装っていても、その奥に微かにざらついた“異物感”がある。それが早い段階から画面を支配していて、私はその不穏さにむしろ惹かれていきました。
リゾートに咲く仮面と狂気

やがて登場する不気味な仮面や奇妙な風習は、それまでに感じていた違和感をはっきりとした“異常”へと変えていきます。
それがまるで日常の延長であるかのように振る舞う住人たちの様子が、さらに恐ろしいとも感じました。
なかでも、ミア・ゴス演じる女性の存在が物語の温度を大きく揺らしていました。軽やかで、無邪気で、どこかコケティッシュなのに、何かが壊れているような怖さを常に感じさせるのです。
いわゆる「軽薄な女性像」をまといながら、その奥に妙な知性と狂気を漂わせている。その演技のバランスが絶妙で、私は彼女の目の動き一つにも目を離せませんでした。
綺麗な世界で汚れていく「自分」

主人公ジェームズは、ある事件を通じて島の異常な処罰制度に巻き込まれていきます。そしてその“狂気”が、いつしか彼にとって一種の快楽に変わっていく。
最初は抵抗や戸惑いがあったはずの彼が、少しずつその快楽に身を委ねていく様子には、どこか現実味があってぞっとしました。
どこかで自分を見失い、どこまでが「自分」なのかが曖昧になっていく。そんな状態に陥っていくプロセスが、じわじわと描かれていきます。
彼が最後に選ぶ行動は、受け手によってさまざまに解釈されるものでしょう。でも私は、それを逃避とも、諦めとも取り切れず、「無」としてそこに佇んでいるようにも思えました。
“楽しむ狂気”という恐ろしさ
この作品で最も不気味だったのは、登場人物たちが恐怖や異常を“楽しんで”いることでした。
暴力や犯罪、処刑という残酷な出来事を、彼らはまるで娯楽のように消費しているのです。
その中には罪悪感も、恐れも、責任もなく、ただ欲望だけがある。
その空虚な笑顔を見ていると、人間らしさとは一体何なのかを問われているような気がして、背筋が冷たくなりました。
「感情がある」ように見せかけながら、その感情はどこにもつながっていない。私はそれを、非常に現代的な怖さだと感じました。
狂気に“知性”がなかったことへの物足りなさ
ただし、個人的にはもう一歩深く切り込んでほしかった部分もありました。
この島で異常行動を繰り返す成金たちは、退屈しのぎに残虐さへと手を伸ばす存在でしかなく、そこに思想や知性のような背景が感じられなかったのです。
もし彼らのなかに、自分の行動を哲学的に正当化するキャラクターがいたら、もっと深く引き込まれていたかもしれません。
たとえば『ダークナイト』のジョーカーのように、狂気の裏に一貫した論理を持つ人物がいたなら、それが逆に一層の不気味さや知的な恐怖を生み出していたように思えます。
“異常さ”の奥に人間性が見える瞬間
『ミッドサマー』のように、狂気のなかにも文化や信念が根を張っていると、観客はより深く「なぜそうなったのか」を考えたくなります。
そういった構造がこの映画には少し弱く、その分「怖さ」がやや平面的に感じられた部分もありました。
それでも、視覚と感情にじわじわと入り込んでくる“美しい異常さ”という点では、この映画は唯一無二だと感じています。
作品が終わったあとに訪れる、静かで持続的な余韻こそが、本作の最大の恐怖であり魅力なのかもしれません。
あとがき ー 何が終わりで、何が残るのか
映画を見終えたあとは、静かでした。エンドロールの音すら、どこか遠くに感じるような感覚があって、自分が今どこにいるのか、少しだけわからなくなるような余韻がありました。
『インフィニティ・プール』という作品は、見終わった瞬間に「面白かった」と言えるタイプの映画ではないかもしれません。でも私は、こうした“静かなざわめき”のような映画を、心のどこかで求めていたのかもしれないと感じました。
人間の中にある空虚さ、倫理の境界、快楽と自己喪失。そんなものが、うっすらとした感触で、自分の内側に沈殿していくようでした。
明確な答えを提示しないからこそ、鑑賞後に考え続けてしまう。そしてそれが、怖くもあり、魅力でもある。この映画は、そういう場所にずっととどまり続ける作品だったように思います。
どこか薄い膜の向こうからこちらを見つめてくるような映像、絶妙なバランスで描かれる狂気、そしてミア・ゴスのあの目。
それらが心の中で静かに息をし続けていることに気づいたとき、この作品は私にとって忘れられない一本になったのだと思いました。
【次回予告】『The Order』を観た後に残った問い
美しさの中に狂気が忍び込んでいた『インフィニティ・プール』の次に待っていたのは、
現実という名の闇だった。
次回取り上げるのは、1980年代のアメリカで実在した白人至上主義組織「ザ・オーダー」と、
彼らを追ったFBI捜査官の実録を描いた映画『The Order』。
フィクションのようでいて、実際に起きた事件。
正義の名のもとに引き金を引く者と、信念のために暴力に走る者の境界は、どこにあるのか。
“これは過去の話ではない”と静かに告げるラストの一文が、観る者の思考を止めさせない。
次回は、実話をもとに描かれた“正義と狂信の構造”を前に、私たちはどこまで「現実」と向き合えるのかを考えます。
『インフィニティ・プール』は現在、Amazonプライムビデオでも配信されています。
忘れられない余韻を、ぜひご自宅でも味わってみてください。
また、手元に置いてじっくり観たいという方には、Blu-rayやDVDもおすすめです。
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