記憶からこぼれ落ちた笑い──『Broken Rage』が残した、名もなき名演

【ご安心ください】
※本記事では映画の具体的な結末などには触れていません。テーマや雰囲気を中心に綴っていますので、未鑑賞の方にもお楽しみいただけます。
出典:YouTube – Amazon公式『Broken Rage』トレーラー
あらすじ
(以下、公式サイトより引用)
“ねずみ”と呼ばれる、一見冴えないが実は殺し屋の男が警察に捕まってしまう。
釈放の代償として覆面捜査官となり、麻薬組織に潜入し、親玉との“偽の”直接取引を仕向けるが、予期せぬ展開が…。
北野武監督が贈る、前半はシリアスなヤクザアクションとして、後半は同じ物語をセルフパロディのコメディとして描く二部構成。ねずみの運命やいかに。
※引用元:Amazon Prime Video『Broken Rage』作品ページ
『Broken Rage』という作品を、私は「途中までしか観ていない」と思っていた。
でも再生してみると、最後まできちんと観ていたのだった。エンドロールも含めて、たしかに自分の目で見届けていたのに──その記憶だけがすっぽりと抜け落ちていた。
なぜそんなことが起きたのか。その理由は、おそらく「笑い」にある。
本記事では、なぜ“笑い”は記憶に残らないのか? という観点から、後半のチャップリン的コメディーパートを捉え直し、あの“名もなき名演”を、今あらためて記憶に刻む試みを綴ってみたい。
笑いはなぜ記憶に残らないのか

『Broken Rage』の後半、物語は次第にシリアスさを手放し、奇妙な可笑しみへと向かっていきます。
拳銃のような怒りを抱えていた登場人物たちが、どこかの拍子でそれを手放してしまったかのように、物語は軽やかに脱力し、言いようのないおかしさで満ちていきました。
それは、いわゆる「笑わせにかかる」コメディーとは異なり、チャップリンの映画のように 悲しみと紙一重の笑いだったようにも思えます。
暴力や怒りの記号が舞台装置としてしか機能していないシーンの数々が、むしろ皮肉めいていて── そこにこそ“ビートたけし”らしさを感じた節もありました。
けれど、不思議なことに、笑いの記憶は驚くほど淡いのです。
観たときはたしかに笑ったはずなのに、時間が経つと、その場面すら思い出せなくなる。
それは、おそらく「笑い」が刹那的な感情だからだと感じました。
感情のピークを過ぎると、まるで夢のようにすり抜けていく。

だから私は「観ていない」と錯覚していたのだと、今は納得できます。
名もなき名演──感情を超えて“演じ切る”ということ
そんな忘却のなかで、妙に印象に残っていたのは、出演者たちの “演じ切る”姿勢でした。
シリアスな芝居を見せたかと思えば、唐突にカラッとコメディーに転調する。
それでも芝居のトーンが破綻しないのは、役者たちの演技力によるものだと感じました。
笑いに身を投じながら、決してふざけすぎず、物語の重さを見失わない──
そうしたバランス感覚が、この作品を単なるギャグに終わらせなかったように思います。
「怒り」を背負う役を、「哀しみ」と「笑い」の境界で演じきるというのは、容易なことではありません。
それでも、彼らは不安定なトーンの上を歩き続けた。
その姿には、コメディアンでもあり、映画作家でもある北野武が演者に託した 美学がにじんでいたように思えました。
忘れたからこそ、書きたくなった
不思議なことに、作品を“忘れていた”という経験が、むしろ私の中で『Broken Rage』を 特別なものにしました。
笑いはすぐに過ぎ去ってしまうけれど、あの時たしかに笑った──その体験の痕跡が、 静かに私の中に残っていたのだと思います。
だからこそ、私はこの文章を書こうと思ったのかもしれません。
「忘れたくない」と願った瞬間から、私の中でこの作品は静かに記憶され始めたのです。
あとがき──記憶に残らなかった映画を、書き留めておくということ

映画を観たのに、覚えていない。
そんな体験は、かつて私にとって“失敗”に近いものでした。
でも今は、それもひとつの出会い方だったのだと感じています。
観たときには流れていってしまった何かが、あとから静かに心に残る──
『Broken Rage』は、そんな形で私に「届いた」作品でした。
記憶の奥に埋もれかけたものを、もう一度すくい上げるようにして綴ったこの文章もまた、ある種の“鑑賞”だったのかもしれません。
笑いは儚く、映像は過ぎ去る。
それでも、たしかに何かがそこにあったのだと、自分自身に言い聞かせるように。
【次回予告】『インフィニティ・プール』を観た後に残るもの
“ちゃぶ台返し”で笑わせた『Broken Rage』の次に待っていたのは、
どこまでも美しい楽園に潜む、冷たく、空虚な狂気だった。
リゾートのまぶしさが、むしろ不安をかき立てていく。
仮面、異常、欲望、そして「無感覚」――
それでも人は笑い、楽しみ、味わおうとする。
次回は、映像の奥にじわじわと侵食してくる“不穏な静けさ”を描いた『インフィニティ・プール』を取り上げます。
見終えたあとに言葉を失い、じっと考え続けたくなるような、忘れられない映画でした。
『Broken Rage』は現在、Amazonプライムビデオでも配信されています。
忘れられない余韻を、ぜひご自宅でも味わってみてください。
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