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『ふつうの子ども』レビュー|子どもに役割を押し付ける家庭の危険な構造

「木陰で遊ぶ小学生たち、石をひっくり返してダンゴムシを探す、夏の自然の中で冒険心を感じる子どもたち」
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家族の“ふつう”という言葉が、どこか息苦しさを孕んで聞こえる瞬間があります。

この物語は、その小さな違和感を見逃さず、子どもが背負わされる役割の重さを静かに照らします。いま、「ふつう」を信じて疑わない家庭が抱える危うさと向き合う意味は大きいと感じました。

【ご安心ください】
※本記事では、映画の結末や重要シーンの具体的な内容には触れず、雰囲気やテーマ、鑑賞の目安を中心に紹介しています。

※注意:暴力描写、過激な表現、心理的・社会的に敏感なテーマ(家族関係、差別、精神的葛藤など)が含まれる場合があります。苦手な方や未成年の方はご注意ください。

総合まとめ

国内平均星評価:4.07/5

評価 :4/5。

海外平均星評価:3.07/5

評価 :3/5。

※このチャートは、確認できた国内外の評価サイトのスコアをもとに作成しています。
未評価のサイトは平均に含めていません。あくまで参考としてご覧ください。

あらすじ

小学4年生の唯士――いたって“ふつうの男の子”。 ある日、クラスの同級生・心愛が「大人たちが汚した環境は子どもが取り戻す」と声をあげる。 興味を抱いた唯士は、彼女と、ちょっと問題児の陽斗を交えた3人で“環境活動”を始めるが、 その活動は思わぬ方向へ転がり――。

恋、友情、そして子どもたちの怒り。 “ふつう”が壊れかけるとき、彼らが見せる決断とは。 この映画は、私たちが忘れていた子どもの揺らぎとリアルを、スクリーンに映し出す。

murmur 公式チャンネルみんな、全力で生きている|『ふつうの子ども』本予告


【ネタバレ注意】
※本記事では、登場人物や象徴的シーンに触れ、私なりの考察や解釈を掲載しています。これより先はネタバレになりますので、物語を楽しみたい方は鑑賞後の閲覧を推奨します。

家族のなかでだけ通用する“ふつう”ほど、外から見ると奇妙に歪んで映ることがあります。陽斗の家に流れる空気は、まさにその典型でした。彼の沈黙や苛立ちを辿るうちに、見えない圧力の形がゆっくり輪郭を持ち始めます。


陽斗が家庭で押し込められた感情は、学校という“逃げ場のない外界”で形を変えて噴き出していきます。

心理学で言えば 抑圧された感情の転移 に近い動きです。

家庭では「お兄ちゃんだから」で片付けられ、怒りも戸惑いも飲み込むしかない。

しかし学校には「お兄ちゃん役割」は存在せず、抑え込む必要もない。

そのギャップが、彼の粗暴さとして現れてしまうのが悲しいほどリアルでした。

子どもは“安全な場所”でしか本音をぶつけられない。

けれど陽斗にとって家は、安全ではなかった。

この切なさは、作品の核を貫いているように思えました。

肉屋に小さな花火を打ち込む小学生たち、パニックになる周囲の大人、学校の校庭脇でのいたずら

陽斗の母親は「問い詰めること」には熱心ですが、「責任の示し方」には無関心です。

これは心理学でいう “役割の逆転” に近く、親が成熟しきれていない家庭に見られやすい構造です。

本来、大人が手本となるべき姿──

・失敗を認めること

・謝ること

・関係を修復すること

これらが親側から消えてしまうと、子どもは“形だけの謝罪”を覚えます。

陽斗が見せるぎこちない言葉の数々は、まさにその副産物に思えました。

大人の真似事のような、しかし本心の伴わない「謝る姿」。

そこには、彼の迷いが滲んでいました。

リビングで床に座る小学生の兄弟、頭を撫でられるも不満そうな表情の兄、家庭内の微妙な圧力の雰囲気

ここは、作品のなかでも非常に象徴的でした。

心理学的には、子どもを役割名で呼ぶことは 個の視点より機能を優先する態度 とされます。

「陽斗」ではなく「お兄ちゃん」と呼ぶのは、彼をひとりの人格として扱っていない証です。

そして、この呼び方にはもう一つの意味があります。

親自身が、役割に頼らなければ育児をコントロールできなくなっている。

下の子から「お兄ちゃん」と呼ばれるのは自然な関係性ですが、親がそれを常用し始めると、

・役割の固定化

・長子への過剰な期待

・不公平な比較

が連鎖します。

陽斗の苛立ちは、ここから逃れようとする身体の反応にも見えました。

校庭脇を歩く子どもたちと保護者、母親に質問する女性、落ち込む小学生男子、曇った表情の女の子、学校外での緊張感と葛藤

タイトルへの問いは、とても静かで、しかし鋭いものでした。

“ふつう”とは、親の基準を子どもに押し付けるときに最も便利な言葉です。

この映画が突きつけるのは、

「ふつうの子ども」像は、親の安心材料でしかないのでは?

という疑いです。

陽斗は決して“ふつうではない子ども”ではありません。

むしろ、誰しもが彼の立場になり得る。

役割、抑圧、未熟な大人──そのどれか一つでも揃えば、どの家庭にも発生する問題だからです。

この普遍性こそが、この作品の最大の価値だと感じました。

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今日の色彩:陽斗の沈黙の奥に沈む、くすんだ藍色。

今日のかけら:
役割を背負わされた子どもは、自分の輪郭を後回しにしてしまう。

今日のひとしずく:
「ふつう」を語る人ほど、ふつうに怯えている。


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このレビューを書いた人
高瀬 楓(たかせ かえで)
高瀬 楓(たかせ かえで)
映画と余韻のブロガー。  週末19時に更新中。
はじめまして。映画ブロガーの高瀬 楓(たかせ かえで)と申します。 「映画の余韻にじっくりと浸りながら、自分の視点で感じたことを丁寧に言葉にしたい」との思いから、映画レビューサイト《Silverscreen Pallet》を運営しています。 心に残るシーンやテーマを深く味わいながら、読者の皆さまの記憶に響くような記事をお届けできたら嬉しいです。
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