ヒューマンドラマ

映画 赦し 考察ノート1:弁護士の仮面と“正義”の揺らぎ ── 操られた言葉が遺族を傷つけるとき【ネタバレ注意】

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【ネタバレを含みます】
本記事では、映画『赦し』の登場人物や象徴的なシーンについて触れています。物語の印象を大切にされたい方は、鑑賞後にご覧いただくことをおすすめいたします。

出典:YouTube / A FILM BY ANSHUL CHAUHAN 公式チャンネル

考察ノート1:弁護士の仮面と“正義”の揺らぎ──操作される遺族の痛みへ

映画『赦し』の中で描かれる弁護士の発言には、「正義」や「倫理」の境界が大きく揺らいでいるように感じられた。特に、被害者遺族に向けられた一言は、単なる弁護戦略という枠を超え、人の心を深く傷つける言葉として響いていたように思う。

前の章を読む:
第8章:沈黙の正義──支援を受けることへの偏見と父の存在意義

はじめから読む:
第1章:序章──映画『赦し』の核心へと導く視点

法廷に響いた“値札”という言葉

物語の中盤、夏菜の弁護人が法廷で発した「まるで娘さんに値札がかかっていたようじゃないですか」という言葉には、皮肉や偏見が滲んでいたように感じた。
この一言は、制度のもとで支給された金銭を「取引」のように見せるものであり、遺族の尊厳に対する深い無理解が表れていたように思える。


法の中立性と倫理の境界線

損害賠償や被害者給付金は、生活再建のための制度であり、決して“金で命を弁済する”ことを意図したものではない。
にもかかわらず、弁護人の表現はその前提を無視し、遺族が金銭を得たことで「利益を受けた」かのように描いていた。
それは、法廷で語られるべき誠実な議論とは異質なものだったように思う。


“倫理の外”にある冷たさ

もちろん、弁護人には被告人を守る責務がある。
しかし、正義の仮面をかぶりながら倫理を踏み外すような言動は、かえって制度への信頼を損ねてしまうのではないかと感じた。
特に「値札」という表現は、命の価値を数値化するかのような冷たさを帯びており、遺族の痛みをあまりにも軽視していたように思えてならない。


「正しさ」とは、誰のためにあるのか

法的に正しいことと、人として誠実であることは、必ずしも一致しない。
そのズレが、今回の弁護人の言葉から浮き彫りになっていたように思う。
正義とは、勝つための論理ではなく、誰かの心を救うための対話でもあるはずだ──そんなことを改めて考えさせられた。


“法の言葉”がもたらすもうひとつの傷

この発言から見えてきたのは、「法」が時に個人の価値観や感情によって簡単に歪められてしまうという現実だった。
裁判という制度の中で、誰が“正義”を語るのか。そしてその言葉は、誰の痛みを置き去りにしてしまうのか。
映画は静かに、しかし確かに問いかけていたように感じた。


関連考察と次章予告

「償い」とはどこまでが自己の責任で、どこからが他者に委ねられるのか──その問いを深く掘り下げます。加害者家族が抱える無言の痛みと、遺族の心の揺れ動きに焦点を当てながら、“赦し”の裏に潜む静かな葛藤を描き出します。

次の考察ノートを読む:
考察ノート2:“罪の波紋”はどこまで届くのか──加害者家族の自死と遺族の視線へ

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このレビューを書いた人
高瀬 楓(たかせ かえで)
高瀬 楓(たかせ かえで)
映画と余韻のブロガー。  週末19時に更新中。
はじめまして。映画ブロガーの高瀬 楓(たかせ かえで)と申します。 「映画の余韻にじっくりと浸りながら、自分の視点で感じたことを丁寧に言葉にしたい」との思いから、映画レビューサイト《Silverscreen Pallet》を運営しています。 心に残るシーンやテーマを深く味わいながら、読者の皆さまの記憶に響くような記事をお届けできたら嬉しいです。

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