映画『メアリーの総て』考察・感想|自由という名の泥濘(どろぬめ)に産み落とされた怪物の産声

総合まとめ
国内平均星評価:3.58 /5
海外平均星評価:3.30 /5
※このチャートは、確認できた国内外の評価サイトのスコアをもとに作成しています。
未評価のサイトは平均に含めていません。あくまで参考としてご覧ください。
あらすじ
19世紀イギリス。思想家の父のもと、厳格な因習の檻に閉じ込められていた16歳のメアリーは、若き詩人パーシー・シェリーと出会う。
社会の型にはまらない「自由な生き方」を謳う彼に導かれ、メアリーは家を飛び出し逃避行へと身を投じる。
しかし、待ち受けていたのは、経済的困窮と、放蕩を正当化する男たちの無責任な裏切り、そして幼き我が身に訪れる「露と消える(喪失)」の連続であった。
絶望の底で孤独を凝視し続けた彼女は、18歳にしてある「怪物」の物語を産み落とす。
References / Data Source:映画『メアリーの総て』公式サイト
本作はAmazonプライムビデオでも配信されています。 もし、この処方箋があなたの心に届いたのなら、ぜひお好きな時間にその扉を開いてみてください。
【ネタバレ注意】
※本記事では、登場人物や象徴的シーンに触れ、私なりの考察や解釈を掲載しています。これより先はネタバレになりますので、物語を楽しみたい方は鑑賞後の閲覧を推奨します。
言葉の檻を逃れて、奈落の自由へ

言葉は、時として人間を縛り付ける強固な枷(かせ)となります。 19世紀イギリス。高名な思想家を父に持ち、先駆的フェミニストの母の幻影を追う少女メアリーは、自らの思考や疑問をすべて家という圧力によって押さえ込まれていました。息を詰まらせ、言葉を奪われていた彼女の前に現れたのが、若き詩人パーシー・シェリーです。
彼は、社会の型にはまらない生き方を説き、美辞麗句の羽衣をまとって、自由に言葉を紡いでみせました。
賢く、内に強い意志を秘めた女性だからこそ、自らの対極にあるその奔放さに激しく惹きつけられたのは、人間の心の不条理と言うべきでしょうか。若く、人の心の裏側を見抜くにはあまりに生い先短い彼女にとって、パーシーは檻の鍵を持った救世主のように映ったに違いありません。しかし、彼女が掴んだその手は、果てなき泥濘へと続く呼び水でした。
「型にはまらない」という名の、丁寧なる逃走
パーシーの「自由」の実態は、実況中継を試みるならば、目も当てられない不調和の連続です。「文無しだ」と天を仰いだ翌日には、手に入った路銀で日々の糧ではなく、科学の玩具や豪奢なドレスを買い漁ってくる。その精神の浮沈は、周囲の人間を容赦なく巻き込み、翻弄し続けます。
さらに恐るべきは、彼の高潔な思想が「責任」という二文字に向き合った瞬間に霧散することです。
メアリーが幼き命をその身に宿したのち、彼の友人であるホッグが彼女に懸想し、夜這いをかけるかのように迫った一幕。メアリーがその不躾な振る舞いをパーシーに告発したとき、詩人が返した言葉は、慇懃無礼なまでの冷徹さに満ちていました。 「君が望むなら付き合えばいい。君は僕の所有物ではない、自由恋愛こそが僕たちの信条だ」

女性に命を宿すだけの種を蒔きながら、いざその生活や情念を守る段になると、「私たちは自由主義者だから」と微笑んで背を向ける。現代においても、婚姻の誓いを交わしながら「開かれた関係」などと世間に吹聴し、自らの放蕩を正当化する動画配信者が散見されますが、その精神の遺伝子は180年前のイギリスにすでに完成していたようです。自由という美名は、いつの時代も、責任感という重荷に一度も触れたことのない人間の、最も安易な隠れ蓑(みの)として重宝される性質を持っているのでしょう。
海外の批評家諸氏からは「波乱に満ちた生涯の割には、展開が些か平坦である」との贅沢な注文もつけられているようですが、これは観客を深い瞑想へと誘うための、制作者による慈悲深き空白にほかなりません。起伏をあえて削ぎ落とすことで、私たちは彼らの果てしなき精神の空回りを、より冷徹に、特等席から観察することができるのです。
乱暴に振り回される死体と、怪物の産声
本作の作り手であるハイファ・アル=マンスール監督は、サウジアラビアという、現代においてなお女性の権利が因習によって厳しく制限された地から声をあげた表現者です。彼女がメアリーの生涯に見出したのは、単なる文壇のゴシップではなく、社会と言葉の双方から「存在を否定された者」の、凛とした闘いの軌跡でした。
メアリーが味わった孤独は、のちに彼女が匿名で出版せざるを得なかった名著『フランケンシュタイン』の怪物の姿と、完全に同期しています。
映画の歴史において、怪物が自らの伴侶を求め、それが叶わぬと知ったとき、冷たくなった身体を抱きかかえて悲しみと共に乱暴に踊り狂う、切なくも凄惨な場面が描かれることがあります。原作の文字を越えて、数々の表現者が脳裏に焼き付けてきたあの「乱暴に振り回される残像」こそ、まさにメアリーの人生そのものではなかったでしょうか。
衝動的で浅はかな男の身勝手な振る舞いによって、寄る辺なき荒野へ置き去りにされ、愛を乞うながらも拒絶され、社会から「いなかったこと」にされる。その泥をすべて吸い上げ、彼女は世界初のSFとされる、あの不滅の怪物を産み落としました。これほどまでに醜悪な現実の泥濘から、これほどまでに美しく、孤独な怪物の物語を結晶化させた彼女の才能には、ただただ平伏するほかありません。
映像の「記憶」を形として手元に残すために
男たちの軽薄な言の葉に流され、形なく消え去っていく配信という体験。だからこそ、18歳の少女が自らの血肉を削って紡ぎ出した「静かなる怒りの系譜」を、あえて物理的な重みを持つ「盤」として所有してみるのはいかがでしょうか。きらびやかな衣装の裏に隠された冷徹な暗闇と、エル・ファニングの凛とした眼差しを、あなたの書架に永劫のコレクションとして刻み込みます。
🔗 関連作品・参考情報
🎬監督:ハイファ・アル=マンスール
・過去作・関連作品:
- 『少女は自転車にのって』(2012年)
- 『メアリーの総て』(2017年)
🎭エル・ファニング
・過去作・関連作品:
🎭ダグラス・ブース
・過去作・関連作品:
🎭過去作・関連作品:
- 原作:『フランケンシュタイン』/メアリー・シェリー著
少女が現実の泥濘をすべてインクに変えて産み落とした、世界初とされるSF小説の原典。映画の背景を知った今だからこそ、怪物の「愛を乞う産声」が全く異なる響きを持って胸に迫ります。

🧬 Post-Screening Analysis
人は、己の内に巣食う言い知れぬ寂しさを埋めるため、時に身を焦がすような嵐を自ら招き入れてしまうもの。未熟さゆえの過ちがもたらした痛みのすべてを、言葉という硯(すずり)に溶かし、不朽の形へと変えた少女の営み。その割り切れぬ情念の顛末を、私たちは安易な正しさで裁く必要はありません。ただその痛みの余韻を、そっと胸の隙間に抱えたまま、歩き出せばよいのです。

